2013/01/31

シンチャオ

最終日はサイゴンから少し南にあるベンチェーという町へ。
能登半島の先っぽ珠洲市に研修生として3年間暮らしていたみんなを尋ねました。日本滞在中も寮の裏庭を畑にして、近くの川から水を引き自分の国の野菜を作っていた面々。
ベンチェーも能登も地球のハシッコみたいな所なのに、会えば時間も距離も感じないから不思議。
それぞれ結婚していたり、子どもがいたり、仕事に頑張っていたり、家族を一番に思っていたり。

偶然連絡がとれてかなった嬉しい再会。

2013/01/28

Crossing SAIGON

9年ぶりのサイゴンは相変わらずバイクの波が交差していました。
横断歩道がほとんど機能していないこの町で最初に直面する壁は対岸への渡り方。へっぴり腰ではこの波をくぐり抜けられません。何度もホーチミンっ子と腕をくんで渡って私はコツをつかみました。

一つ、 躊躇せずゆっくり足を前にだす
一つ、 進む歩幅や速度は一定に保つ
一つ、 止まらない
一つ、 戻らない
一つ、 恐怖に打ち勝つ


人生のナンタルカを乗り越えた気分を味わえます。



2013/01/18

ビエンチャンのトゥクトゥク

首都ビエンチャンまで南下しました。
高い建物も増えて、首都はさすがにシティの様相なのですが、ここでもアジア独特の客引きがまだ現れません。おかしいな、と歩き続けても、バイクを改造したトゥクトゥクも挨拶代わりに一度だけ声をかけるだけ。いつもなら「3回しつこくされたら交渉してみようか」が空振りのまま通り過ぎていきます。聞けば、「されて嫌なことは、私たちは人にしたいと思いませんから。」

ラオスは貧しい国だそうです。
けれど、新鮮な野菜や果物、お肉と魚も豊富です。お米もパンも美味しい。女性もふくよかで、物乞いも見かけませんでした。食べ物は自給が基本で現金収入は余った分を市場に並べて得ている人も少なくないようです。

フムフムと頷きつつ休憩中のトゥクトゥクを横目に、バンコクやサイゴンの客引きや値段交渉を懐かしく思ってしまいました。



2013/01/15

ルアンパバーン~ビエンチャン


 ルアンパバーン~ビエンチャンは乗合バスで移動しました。時間を節約するのに夜行を考えていたけれどラオス人曰く「夜は危ない」とのこと。治安のよさそうなラオスでもそりゃそうよね、と頷くと「運転手が時々寝ますから。」だって。
景色も醍醐味の一つと切り替えて朝7時半、お粥をすすって出発。ハイウェイどころが舗装道路はガタガタ、延々続くカーブ道に運転手はレース並みに飛ばすから、うたた寝もできないバンピングドライブで400kmを9時間かけてゆっくり進みます。国土のほとんどが森林のラオス、20分も走ればあっという間に緑と深い雲海が広がりました。バスからは人々の暮らしが覗けます。川沿いには小さな畑が続き、森の裾にはあちこちから湧水がありました。保存食を作る女性、学校帰りの子どもたち、狩りに向かう人や豚を解体する人の群れ、お茶をすする家族達。山を下るとともに、竹や木の皮で作られた家は次第に、トタンの屋根になり、レンガの壁になり、バイクや車の増える様子は、いくつもの時代や国が一度に流れるような錯覚がありました。

2013/01/14

ラオスへ


少し長いお休みをいただいてラオス旅へ。世界遺産の町ルアンパバーンを訪れました。
ハノイで乗り換えたプロペラ機が到着した午後8時にはうすぼんやりとした灯しか見えず、でも久しぶりにくすぐられるアジアのにおいがありました。ツンとくる香辛料やたくさんのハーブ、バイクの排気ガスと砂埃、炭火の煙にバナナの皮、生活の時間で変わるそれらが汗のにおいと絡まって、ああアジアへ来たんだなと実感します。
僧侶の托鉢で有名なこの町の朝は早い。夜明けとともに裸足の音で一日が始まります。町を歩けば通勤前にお寺に寄るOLや庭に干された鮮やかな袈裟の光景に出合え、祈りが日常のあちこちに見られました。手を合わせることは心を鎮めることでもあって、それだからラオスの人々は穏やかなのかな。ツーリスティックになりすぎている面もありましたが、自転車のスピードで流れていく生活の風景が心地よく長居したくなるような古都でした。

2013/01/02

おとし玉

オトキハジメで家族が集まったので、子どもたちには新年のギフト。

ポチ袋に少しだけ手を加えました。
引き出しの奥に眠っていた折り紙を白い封筒に貼り付けるだけですが、相手を思い浮かべながら色合いを選ぶので、その時間が楽しい。




2013/01/01